ソチの歴史
6世紀から11世紀にかけて、ソチは、ソビエト連邦ではなく、グルジアのコルキス王やアブハジア王に属していました。
その後、11世紀から15世紀には、正式にグルジア王国に属していました。
15世紀になると、オスマン帝国に占領され、オスマン帝国領となっています。
その後は様々な紛争や戦争の悲劇の舞台となってしまいます。
カフカース戦争や、ロシアとオスマン帝国の露土戦争によって、結果的に海岸線地帯がロシアの領地となりました。
1838年には、カフカーフス戦争の要塞としてソチの中心部を流れるソチ川の河口にアレキサンドリア要塞が建設されています。
1854年に始まったクリミア戦争の際には、オスマン帝国の侵入を恐れたロシアがロシア軍の駐屯地としてソチを利用していました。
なお、カフカース戦争は、当時のカフカースの副王であったミハイル・ニコライヴィチによる勝利宣言によってこの地で終結を迎えることとなりました。
しかし、ソチの一部はオスマン帝国の占領下に置かれたままでした。
この時代に、多くの民族が入植し、国際色豊かな特徴を持つ都市になっていきました。
その後、露土戦争によるキチュク・カイナルジ条約の締結によって、ロシアの南下を許したオスマン帝国は、黒海沿岸の占領地をロシアに明け渡す形となり、結果としてソチの全土がロシアのものとなったのです。
1905年から始まったロシアの革命期には、革命に反対する白軍、レーニンが率いる左派の一派であるボリシェヴィキ、グルジア民主主義共和国という3つの強い勢力によってソチの争奪戦が繰り広げられました。
そして、かの有名なソビエト連邦共産党書記長であるスターリンが別荘を建て愛した地として、スターリンの政権時代にはソビエト連邦最大のリゾート地として成長を遂げました。
ソビエト連邦がロシアとなった現在では、プーチン大統領がソチに積極的に投資を行い、冬季オリンピックの開催地として選ばれたのです。
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